大正団地は横浜市戸塚区原宿3丁目にある分譲の共同住宅です。戸塚駅や大船駅からそれぞれ神奈川中央交通バスで15分圏です。JR東海道本線・横須賀線・湘南新宿ラインのほか、戸塚駅からは横浜市営地下鉄ブルーラインも利用できます。

日本住宅公団(現UR都市機構)により建設され、1969年5月に総戸数780戸で竣工しました。南向き、南東向きの日当たりのよい住戸で構成されており、5階建ての号棟間には駐車場や芝生、複数の児童公園があります。植栽が豊富で鳥の囀りも絶えないゆとりの空間が自慢です。

周辺は閑静な戸建住宅地となっており、徒歩5分圏内には病院、保育園、小学校、中学校、スーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニエンスストアなどがあり、生活しやすい環境が整っています。

JR東海道本線・横浜市営地下鉄 / 戸塚駅 バス13分 大連寺下車 徒歩5分
JR京浜東北・根岸線 / 大船駅 バス16分 三叉路下車 徒歩3分

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大正団地界隈の歴史

大正団地の名称は、大正から昭和にかけての鎌倉郡大正村の地名に由来します。
大正村には、「いざ鎌倉」で例えられる“かまくら道”や家康の肝いりで整備が進んだ“東海道”が通っており、いにしえを偲ばせる遺跡が残っています。

戦後の“かまくら道”は、瀬谷や深谷に米軍の通信隊が設けられ、厚木基地から横須賀港への至近路でもあったため、軍事上の重要道路としても使われました。一方、東海道も古くからありましたが、家康の時代に宿場や道標、並木道の整備が進み発展しました。戸塚から藤沢に向け、大坂上~吹上~鉄砲塚と続く国道1号線の松並木はその名残です。浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の登場人物、お軽・勘平のロマンを歌った石碑も何故かこの国道沿いに建てられています。

大正村は、富士山や丹沢を望む空気の澄んだ水の綺麗な農村地帯でした。太平洋戦争開戦直前、医療・看護・衛生施設の拡充を図っていた帝国海軍が、この原宿に10万坪という広大な土地を接収し、海軍病院を開院しました。その後、広大な土地は昭和40年代に国立横浜病院、大正団地、東急住宅に分割。私達の団地は旧日本住宅公団により造成され、昭和44年5月に竣工しました。

当時、大正団地はベビーブームに沸き、国立横浜病院との関係も深まったそうです。その後、病院の発展と共にクリニック、歯科医院、薬局、マッサージ院、接骨院などが集まり、団地周辺は医療の街に様変わりし、病院を目当てに移り住む方がいらっしゃるほどです。

お軽・勘平の石碑
大正団地(手前)から富士山や丹沢山系を望む